2024年6月16日、「NPO障害者の職場参加をすすめる会」主催。

文責 山下浩志


2024.6.20
「山田 裕子」さん(越谷市市議会議員、
越谷市民ネットワーク)。
(facebookの発信)
(2024年6月16日)

 午後は、NPO障害者の職場参加をすすめる会の総会+ワークショップ。
 ワークショップのお題は、東越谷のハローワークはす向かいにある職場参加ビューロー「世一緒」が今、担い手不足や財源問題で存続の危機にあること。このピンチをどうやってチャンスに変えられるか、会員はじめ日頃関わりのある人たちで考えよう、という目的で行われました。
 事業形態や財源問題は現場の皆さんの方が詳しいので私が提案できることはほとんどない。でも、私にとっての「とまり木」である世一緒のような居場所がなくなってしまうのは困る。行って、たまたまその時来ている人のよもやま話を聞いてほっこりするのが好きで、世一緒は障害のある人の受け皿というだけでなく、私が生きていくのに必要な私の受け皿だから。居場所の存続のために何ができるかということだったら、私にもいろいろできることがあるかもしれない、と思いました。
 居場所って本当に大事。

               
             
             
             
      

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2024.6.20
「山下 浩志」(facebookの発信)
(2024年6月17日)

            
   

 

           
  昨日(6月16日㈰)、越谷市中央市民会館で、NPO法人障害者の職場参加をすすめる会の定期総会を開催し、その後当会としては初のワークショップを行いました。
 なお、総合司会は野島久美子さん、総会議長に選出されたのは吉田久美子さんと補佐として原和久さんです。
 定期総会の冒頭には、越谷市の福田晃市長も見えて、激励を含む挨拶をいただきました。
 定期総会では事業報告読み上げの代わりに、障害当事者たちが前に出てそれぞれから一言メッセージを行うのが恒例ですが、今年は議案の説明にいつもより時間を取り、なおかつ障害当事者の一言も行ったので、総会が時間オーバーとなりました。
 採択された総会議案の新年度事業計画の冒頭は、次のように述べています。
 「当法人の長年の取り組みは、職場参加に関する地域の協力関係や自治体による職場参加の施策など、周りの環境を変える上で大きな役割を果たしてきた。
 しかし、それを担ってきた本部と現場という車の両輪のうち、とりわけ本部事業を担ってきた「職場参加ビューロー世一緒」の退職障害者たちの重度化や協力者の高齢化が進んでおり、それを機に「職場参加の危機」が顕在化している。
せんげん台「世一緒」では「職場参加をすすめるB型」の取り組みが試みられ、次世代の障害者達が地域、職場に参加し始めている。
 越谷からせんげん台へ本部のバトンをつないでゆきたいが、制度の縛りがあり、完全な自主事業だった越谷と同じにはできない。
 職場参加の理念とB型の持っている現実的効果とをどう組み合わせられるか、さらにはNPO法人という組織のままでよいのか、みんなで検証しながら「職場参加の危機」を乗り越えてゆくしかない。この1年は最後の猶予期間と位置付けて、取り組んでゆく。」
 この事業計画をスタートさせるにあたって、いつもなら総会後はゲストを招いてシンポジウムを行うのが恒例ですが、今年はゲストを招かず、ワークショップ「職場参加の危機(ピンチ)を考える」を開催しました。
 会員や協力者のみなさんが、何人くらい参加していただけるか予想がつかなかったのですが、30数名の参加があり、3つのグループに分かれて語り合うことができました。
 ワークショップ全体の進行役として、埼玉県立大学名誉教授の朝日雅也さんにお願いしました。
 3つのグループそれぞれで、運営委員がファシリテーター役を務めました。
 また、すいごごカフェの常連さん他の中から、これまで住まわれたあちこちの自治体で住民サイドから協働作業を行った経験がある有竹和子さん、越谷市民ネットの越谷市議・山田裕子さん、文教大学で特別支援教育担当の教授を定年退職された八藤後忠夫さんに、予め「語り合いのきっかけとして何かひとこと考えておいていただけますか」と話し快諾をいただいておいたのですが、朝日さんによれば「リソース パーソン」を務めていただいたということになるらしいです。 
 ということで、グループ1~3の語り場が同時並行で始められ、1時間余り。私はグループ1に。
 そして、今日夕方、ありがたいことに朝日さんから、各グループの写真とともに、メールが届きました。
 「こんにちは。昨日は大変お疲れさまでした。
 ワークショップの様子ですが、山下さんにもご参加いただいたので、写真撮影が出来なかったものと思います。
 様子がぼんやりと伝わるだけですが、3つのグループでの討議の様子を写真に収めましたので、ご参考までに送信いたします。
 まとめ(‥にはなっていませんが)、ホワイトボードの写真も併せて送信いたします。
 先ずは、関係者で「職場参加の危機」を話し合うプロセスが重要であることを実感させられました。
 引き続きよろしくお願いいたします。」
 メールに書かれている「ホワイトボードの写真」というのは、朝日さんが3つのテーブルを回って、印象に残ったことを、ホワイトボードにメモされたもの。
 私のところには、そのほかに、予めお願いしてあった参加者からの速記録も一部届いたので、朝日さんのメモに少し付け加えて、以下に記録しておきます。
 朝日さんの言われる通り、「話し合うプロセスが重要」と実感しつつ。まずは一歩踏み出し。よちよち・・・
   

 

※      ※      ※      ※      ※
職場参加をすすめる会ワークショップ 2024.6.16
  「職場参加のピンチを考える」
グループ1
・自己紹介から世一緒への思い
・具体案(助成金、カフェ等へと展開)
・日常生活する場に「世一緒」が入って、いろいろな人と知り合えたらいい。
・今回の危機、自分が関わった10年前から続いているのが、今回本当の危機と感じている。
・危機ということでぼんやりと「お金や人が足りないのだろう」とは思っているが
・B型は通所者が来ないと成り立たない現実、でもできるだけ外に出していく理念、どうしていくか。
・日銭を稼げるのが労働という見方もあるし、一緒に参加できる労働のありかたも。
・職場参加の会も社会に必要な事業だから絶対続けていける。
・本部事業をやめるとすごく形が変わっていくが、そこを就労B中心にどう前向きに集約していけるか、そこを考えなくてはいけないのが自分の中の危機感。
・世一緒みたいなところが小中学校の通学路にあって、子どもたち、大人たちがああいうことをしていると思ってくれる街の豊かさ、それを一緒にやれたら。
・「ここは大切なところ」の集めあい
グループ2
・世一緒の前身からのおつきあいー歴史の振り返り
・私の居場所どうしてくれる
・〇〇さんを元気にできる場
・B型の中で職場参加できるサロンを
・お金はかかるが
・職場参加→山下さんの分身 大切に


 


グループ3
(職場参加の共有)
・危機→職場参加にとどまらず、自身の関りから考える
・本部事業をB型で・・・・誰がやるの?これ以上何ができるんだろうと思って悩んでいる。
・共生・共働の機会が少ないのでは?(農福連携を掲げながら雇用を別会社に代行させていたり、市役所等の障害者雇用でも別室で切手貼りをさせていたり、インクルーシブじゃないなと思う。普通の人が近づいて来ないと難しいと思う。)
・相互に「ご一緒に」考えあうこと(制度で枠づけられると、制度からはずれるグレーの人ができてしまう。一緒に梅を見に行こうとか、一緒に街を歩こうとか、そういうことがあたりまえに行われている状態、そこから身近な制度を変えてゆく必要がある。)
・工賃を払うため一生懸命やっていると社会に出ていくことができなくなる、内職も期限があると間に合わなくて職員が残ってやっていたりする、そういうのをどうやってゆけばいいのかも悩み。
・わっぱの会、共同連の人たちは、工賃ではなく、給料として分け合うと言う。能力差があるにもかかわらず、均等に配分することを目指している活動がある。
・共生のためには能力差、ちがいをわかってもらう必要がある。一緒に生活することがいちばん。何ができて、何ができないのかすり合わせていく必要。
・自治、自分たちで運営していくという視点で畑をやってゆこうと考えている。
・特別支援学校時代の親仲間は親たちが決めている印象。本人たちが自分で決めていくようにしていくのが年寄りの仕事と思う。せんげん台に来てお互いのことを知って一生懸命やってくれている人たちが、やめたらバラバラになってしまうからもう少しがんばらないと。
・すいごごカフェ大好き・・・まだ続くよね(期待?)

   
 


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2024.6.20
「山下 浩志」(facebookの発信)
(2024年6月18日)

 6月16日㈰ NPO法人障害者の職場参加をすすめる会2024年度定期総会後のワークショップ「職場参加の危機(ピンチ)を考える会」の続報。
 以下の語りのほか「職場参加は山下さんの分身」という言葉も飛び出し、ちょっとおどろく。




 

 


グループ2:
・NPOの理事であり、東越谷で事務局として雑用を。私自身も高齢化も重度化もして、だんだん周りの人がいなくなり、メンタル的にもかなり落ち込んでいる。これからを考えると、せんげん台B型を中心にして、生活クラブや市民ネット他の方々とのつながりは大事にしながら、利用者も街に出て行けるようにしたい。その際、形は変えていきたいと思うが、せんげん台に丸投げはできないし、いいアイディアはすぐには浮かばない。
・息子の障害は18歳にわかって、本人は自殺しようかと考えていた時、わらじの会と出会い、みんなに支えてもらいながら、自身も介助に関わり、人間みんな敵みたいに見てたのが人間大好きになって・・15年前に就職し、夕方からは介護に入ってから帰ってくる。職場参加の皆さんがうしろにいるから頑張れる。危機といわれると親子ともども困ってしまう。会員なのに年1回しか参加できないが、一緒に考えていきたい。
・何も活動はしてないけど、何十年間道ですれ違ってご挨拶するという関係。たまたまネットで職場参加はどうしているか見たら、「危機」とあったので話を聞きに来た。いろんな制度ができた割にはよくなってないように感じられる。
・生活介護事業所の責任者。介護保険も障害福祉サービスも細分化されている。支援程度によってサービスとして関われる部分が、ここから先は切ると。切れない付き合いを続けて地域を耕していくことができなくなる。いっぽうで、特別支援学校を卒業する人たちは、きれいな職場とか工賃がちょっとでも取れるところに流れてゆき、大変かもしれないけどチャレンジしようというところには来ない。
・せんげん台の職員間でもいろいろ話はしている。自分としてはB型にいても職場、社会に参加させていきたいが、経営を考えるとプッシュがなかなかできない。もうひとつは、越谷に行っていた人が立ち寄れるサロン的な部分をせんげん台に設けることもできたらとは話している。越谷の世一緒のような止まり木が必要だと思う。
・自分がいま行っているA型に数人、たそがれ世一緒に行っている人たちがいて、その話になる。居場所なんだなと思う。
・私は世一緒でKさんの「母ちゃんから怒られる」という話やMさんが飛行機が好きだなんて話を聞くのが好きだったけど、最近聞ける機会が少なくなり寂しいと感じていた。まさにほっこりした場所がなくなってしまう危機なんだなと感じる。事業形態とか財源をどうするかはわからないが、ああいう居場所をどうしていくかとか、担い手とのつながり作りとかでは、何かアイディアを出せることがあるかもしれない。
・職場参加の活動はそれぞれの人間にとって必要なものだと、あらためて実感した。職場参加は地域とか社会を拡げる役割をまだ持っている。あきらめるなよというメッセージとして受け止める。NPOは残してほしいというのが私の思い。B型をやるなら複合的にやるしかない。ワーカーズコープもB型一種では、採算とれているところはない。B型をやるならその横に複合的にいろんなことをやって、昔でいうと「多能工化」で地域に参加する、それでワーカーズコープを支えないとだめ。そして地域を変えてゆく役割を持つことが必要じゃないか。B型を含めて、あきらめちゃいけないと。



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2024.6.21
「山下 浩志」(facebookの発信)
(2024年6月21日)

 
 NPO法人障害者の職場参加をすすめる会の総会後のワークショップ「職場参加の危機(ピンチ)を考える会」の報告追加。
 画像の中の若者の後姿は、19日のすいごごカフェゲストの長岡くん。私の生活・活動拠点(のひとつ)である「黄色い部屋」で。
 彼が埼玉に着いたのは、18日なので、残念ながらワークショップへの参加はかなわなかった。
 でも、すいごごカフェのパワポの最後にはこう書いてあった。
 〇私にとっての「共生」とは何だろうか
 〇私にとっての「地域」とは何だろうか
 ⇒私と障害と地域をきちんと考えながら研究していきたい
  そして、地域で共に生きてきた人びとの営みから学びたい
  思いがけないところに、応答のような何かがあり、「危機」は世代や地域をこえてつながろうとしていることを予感させる。
 それでは、ワークショップ記録の補充を。
 グループ3:
・自分の具体的な関りとしては、毎週すいごごに参加している。
「危機」については、若手への緩やかなリレーゾーンがなぜなかったのかと素朴な疑問がある。10年前からわかっていたのではないか。
・たしかに高齢化している。探しているし、募集もしているが、今まで来た。今までは経済的な危機がずっとあり、今年に入って少し上向きになった。ただ利用者を就労させてゆくと収入が減るしくみの制度。利用者を増やしていく課題もある。越谷の世一緒でやってきたことをせんげん台でと言われて、これ以上何ができるんだろうと悩んでいる。
・職場参加にはこだわり続けたい。特別支援学校で育ってきた人が社会に出てつきあいがわからず苦労しているが、その人たちがいない地域の学校で育ってきた人たちも、やはり生きづらい。いま関心があるのが社会教育。
・農福連携という言葉があり、それを看板にして雇用率達成に悩む企業の代わりに障害者を集めて農作業させ、企業から金を得るビジネスがある。全然インクルーシブじゃない。イタリアのミラノで、精神病棟を開放化して、そこで地域に必要な仕事を起こして共に働いている。そういうことが必要なのでは。
・「職場参加」という言葉はネットにも出てこないが、埼玉県の新座から始まった言葉。障害者が職場実習等で地域の職場に参加するだけでなく、「地域の側が障害者に参加する」とも。すごいことだと思う。いっぽうで総合支援法の「特別就労」というべきサービスについては、国連の総合所見では批判されている。B型をやりながら「職場参加」の理念を目指す動きというのは、たしかに「危機」だと思っている。
・日本はすごく属性で分けている。すると、近くにいるのに無関心でいられる。一緒に同じ場に行くことから、いろんな所に関心が向く、制度で枠ができると、制度から外れるグレーの人ができてしまう。一緒に海を見に行こうとか歩こうとか、そういうところから身近な制度を変えていくことを始めていく必要がある。
・養護学校義務化の年に養護学校教員になったが、当時は就学猶予で大人になってから養護学校に来た生徒までいた。当時の教員たちは卒業時「在宅を出さない」が合言葉で施設づくりの寄付集め等していた。就労については、当時職安がバスを借り切っていままで就職した場所を巡るというような形で、職安が中心になってやっていた時代だった。
 いま総合支援法の時代になって、A型、B型はじめ、生徒を能力別に細かくふりわける施設が商業ベースでできて、生存競争している状況があり、法のタテマエとしての共生とは程遠い。
 せんげん台「世一緒」もB型として活動しながら、共生をすすめてゆくには、障害者とどうかかわっていいかわからない地域・職場の人達に対し、何ができて何ができないのかすりあわせていくことが大事。一緒に生活する体験がいちばんだと思う。
・危機はいまさらではない。本部事業のすいごごのように、ふだんはしゃべらない人が話すというのは貴重。「私すいごごでしゃべった」「私だって」というのを自慢していた。B型など制度になると、職員と利用者という関係が固定化してゆくが、そこをこえてゆく活動、事業にならないともったいない。
・社福の利用者が時給で働いている地方市場で、今度はその社福から施設外就労でも入るようになり、そちらは工賃なので安上がりだから、仕事が多く回ってきて、そのぶん職員がフォローに入ることになり、期限があるものなど職員にもしわよせが来る。そういう職場は笑顔がないし、理念はあったとしても成果がないんじゃないか。やはり職場に参画していくことが大切。
・世一緒も日々の仕事をこなすだけでは工賃を払えない。そこを一生懸命やっていると、社会に出ることができなくなる。期限があると職員が残ってやっていたりする。どうやっていけばいいのか悩む。
・わっぱの会、共同連では、工賃ではなく、同一賃金。能力差でなく、均等配分。
・せんげん台「世一緒」は就労移行から始め、超短時間就労や有償ボランティアも就労として市の理解を得て実績を上げたが、3年目になると、利用者数(10人位)でなく定員の20人に対する就労人数で実績が評価され、報酬が激減した。それではと、B型との多機能に変わったが、今度はB型、移行それぞれの職員定数の充足等が厳しく、いまの障害福祉サービスは小さな事業所にとっては不利な制度になっている。
 しかし、ここで出会って互いのことを知って、一緒に活動している同士が、やめたらばらばらになってしまうからもう少し頑張らねば。そのことを本人たちで決めていってほしい。危機は感じている。それでもB型で一緒にやっていきながら、自分の意思で行動することが育っていってほしい。それが年寄りがやっていく意味と思っている。


 

         

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2024.6.17
「Shingo Iijima」(facebookの発信)
(2024年6月17日)

 昨日(2024年6月16日(日))、午前中に「NPO障害者の職場参加をすすめる会」2024年度定期総会(越谷市)が開かれ、午後に「職場参加の危機を乗り越えていくためのワークショップ」が開かれた。
 正式の報告は後ほどあるはずだが、朝日雅也さん(埼玉県立大学名誉教授、同会運営委員)が作成した[ワークショップ「職場参加の危機を考える会」――ファシリテータ用シナリオ]が、ファシリテータになった私たちに配られたのは画期的なので掲載したい。そのうえで3グループに分かれた「ワークショップ」のホワイトボード告知メモは、今後のために参考になる。

               
   
   

 
 
 

 


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 編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
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U  P 2024年06月20日
更新  2024年06月20日
更新  2024年06月21日