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――「共に働く街を拓くべんきょう会」第53回





infomation

2019年04月18日
『私たちの津久井やまゆり園事件 障害者とともに〈共生社会〉の明日へ』(堀利和(編著)、社会評論社、1800円+税、2017年9月8日、四六判並製、280頁)。
2019年04月13日
映画「『津久井やまゆり園事件』が問いかけたものは…」の上映会を開きました。――「共に働く街を拓くべんきょう会」第53回
2019年04月13日
越谷市内で上映会。半数以上が障害者でした。澤則雄(監督)のFacebookより。
2018年04月13日
◆ドキュメンタリー映画 「生きるのに理由はいるの? 「津久井やまゆり園事件」――予告動画 。<資料>衆議院議長に宛てた植松被告の「手紙」全文
2018年04月13日
◆ドキュメンタリー映画 「生きるのに理由はいるの? 「津久井やまゆり園事件」――上映会を主催希望の方へ
2018年04月13日
◆映画「生きるのに理由はいるの?」―「津久井やまゆり園事件」を議論するために。<柏井 宏之(共生型経済推進フォーラム/共同連)(2019年 2月 26日) 。
2018年04月13日
津久井やまゆり園の事件とその日の絵日記の旅―分けられた教育・労働・福祉と「すったもんだ」の地域(作成日時 : 2016/07/29 23:57)。津久井やまゆり園の事件―「障害者のためのインフラ整備」の背後で問われる「異なる他者」――共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す。(NPO障害者の職場参加をすすめる会。山下浩志事務局長のブログより)。( 作成日時 : 2016/08/03 00:24 )。
 
    ▽「障害者の職場参加をすすめる会のHP」へ
    (リニューアルしました)









映画「生きるのに理由はいるの?『津久井やまゆり園事件』が問いかけたものは…」。

山下 浩志 facebook(19.04.13 AM12:00)
  https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/2072314269503869
(2019.04.13)






  昨夜(2019年4月12日)、第53回「共に働く街を拓くべんきょう会」が越谷市中央市民会館で開かれ、40名が参加し、映画「生きるのに理由はいるの??『津久井やまゆり園事件』が問いかけたものは…」を見て、監督の澤則雄さんをまじえて語り合いました。以下は速報です。

「生きるのに理由はいるの?」一言感想集(司会:日吉)


 
大坂:入所施設への隔離が「反応がない」状況を生む。優性思想。今でも施設を求める団体が多数派。
 松山:子ども時代自分の親に存在を否定された。「生きるのに理由はいるの?」は障害のない人も同じ。
 瀬井:障害者週間の映画の検討のために来た。重たいと感じる気持ち自体が、社会によって作られている。
 野島:私も親に殺されそうになり家出した。キイちゃんと同じできょうだいの結婚式にも出られなかった。
 樋上:拘置所とのやりとりはPCは使えないのか。
 吉田:事件後やまゆり園の入所者の一人が街で暮らし始めた映画を見た。もっと地域生活を伝えていきたい。
 飯島:100万人近くが引きこもり。青年たちが自己責任論で追い詰められている。WEBで発信していきたい。
 関:出生前診断にも反応は鈍い。「なぜ中絶できたのに産んだの?」との攻撃も出そう。小さな上映会をもっと。
 小野:17年介護した女性が「つきあう中で微笑もある」と語っていた。植松自身はどうだったのか。
 松丸:生産性が低い者は生きる価値がないという思想。我々が作ってきた社会が生み出したという反省が必要。
 ○○:植松は一種の革命家気取りと感じた。手紙や絵がきれいだから、こういうのに力使ったらよかったのに。
 不破:施設があることに対して怒りを感じる。実際にできる一歩は、目の前の障害者と一緒に地域で生きること。
 増田:わが子達も、介助に入っている重度者達も意志がある。施設否定は悲しい。施設の体制を変える役割も親。
 高瀬:やまゆり園で植松被告の見た光景が、こんなケアいらないよといったケアだったんじゃないか。やまゆり園で生活していた人、仕事してた人の声を聞きたい。


 澤監督:前保護者会長の尾野さんは、以前やまゆり園で亡くなった入所者の遺骨を、その人の家族を探して届けると、なんで今頃持ってくるんだ、いないことになっているのにと追い返されたこともあったという。尾野さんはいま地域へ舵を切り、息子さんはアパートで介助者とともに自立生活を始めている。いまの会長、施設長は毎月の命日にお参りに来てマスコミが取り囲むが、すべてノーコメント。殺された19人の中で、いま3人だけが家族が下の名前を公表している。
 この映画を作って小さな上映会をしているのは、施設か地域かの二者択一ではなく、生きるということはどういうことかをみんなで考えていきたいから。病院の看護師が点滴で殺してしまったり、透析問題なども、地域の中に形を変えた尊厳死(自己責任)の空気が作られ、そこに植松の考えが潜んでいるのかなとも感じる。

越谷市内で上映会。半数以上が障害者でした。

澤則雄(監督) facebook(2019.04.13  9:38 )
 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=446906999400880&set=a.403359733755607&type=3&theater

 
(2019.04.13)




 「生きるのに理由はいるの? 津久井やまゆり園事件が問いかけたものは」・・・昨夜は越谷市の「障害者の職場参加を進める会」が主催した上映会でした。多くの方が参加してくれました。半数以上が障害者でした。上映後の感想会もそれぞれご自身の体験談を交えて話されていました。
 「私も兄弟の結婚式には出してもらえなかった。今もそんなに変わってはいないのでは?」
シェア会付き上映会!今日は新宿の真英寺、浄土真宗のお寺の本堂での上映会です。

ドキュメンタリー映画 「生きるのに理由はいるの? 「津久井やまゆり園事件」予告動画 。

(2019.04.13)

外観外観


 <資料>衆議院議長に宛てた植松被告の「手紙」全文
 
外観
 外観
  PDF版で読めます。>



外観外観
  ▽「予告」は、下記をクリック(YouTube)へ。
  
   (津久井やまゆり園事件を映画化する制作集団)

 



上映会を主催希望の方へ。
(2019.04.13)

概要

上映後 感想シェア会の上映会を開催してみませんか?
開催趣旨・方法は主催する方にお任せいたします。

DVD 50分

この事件を通じて考えたいことをご記入の上、
詳しくはお事務局に問い合わせください。

上映会主催に関する

090-5536-9172  事務局 澤

電話に出れない場合は、こちらから折り返しいたします。

https://peraichi.com/landing_pages/view/tsukuizyoeisyusai
外観外観
外観

 

映画「生きるのに理由はいるの?」―「津久井やまゆり園事件」を議論するために。
<柏井 宏之(共生型経済推進フォーラム/共同連)(2019年 2月 26日)
 http://chikyuza.net/archives/91650


(2019.04.13)


◆なぜ、沈黙し議論が起こらないのか?
 2016年7月26日、深夜午前2時に事件は起こった。神奈川県相模原市にある入所者157名が暮らす重度障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者43名、職員3名が刃物で刺された。男性9人、女性10人が死亡し、27人が負傷した。男は植松聖 26歳。その年の2月までやまゆり園で働いていた元職員だった。植松聖は津久井警察署に自首した。何が植松被告にこの様な犯行に走らせたのだろうか?!
 映画『生きるのに理由はいるの?−「津久井やまゆり園事件」が問いかけたものは…』(原案/堀 利和)がそのことを追って完成した。年末に収録を終え、この事件の犯人・植松が生まれた日野での2月初めの上映会をキックオフとして、各地で意志あるところて暫時公開されることになった。企画・制作・撮影の澤則雄さんが9稿まで積み上げてきた「津久井やまゆり園事件を映画化する制作集団」の労作である。障がい者とその家族以外、ほとんどこの事件をめぐって市民社会の中に議論が起こらなかったのを憂いて、議論素材を提供する50分の力作である。
 植松は東京・日野市生まれ。企画・制作・撮影の澤則雄さんは、その日野市の認定NPO法人やまぼうしの重度障がい者の地域暮らしを支えるため手伝っていた。そして日野市で最初に上映したいとの思いが実現することになった。富山や品川での市民の手による上映も決まった。大阪や京都、北海道でも動きがある。
 この映画の意図について澤則雄さんは「少人数で考える場を創りませんか?」と語る。
 1年半の駆け足でしたが、皆様のご協力で何とか完成することができました。衝撃的な事件から2年半、まもなく初公判が開かれようとしています。しかし早くも風化を危惧する声があります。
 この作品はドキュメンタリー映画ではありません、事件の概要と集会などで読まれた手紙、投稿などをまとめました。10人から30人程の人数で事件を考える会を開き、そこでみんなで考える場を作りませんか。
 措置入院、精神保健福祉法改正の問題。被害者の匿名報道。巨大入所施設のあり方、地域移行の問題点。優生思想とは…大きな問題ばかりです。
 植松被告個人の何故犯行に至ったのか?の解明と、それとは別にこの事件が示唆した日本社会の問題に向き合って行かなければ!と思います。皆さんで考える場を数多く作りませんか。そのきっかけとして使っていただけたらと思い制作しました。
 思えば、1960年、大島渚は『日本の夜と霧』で、安保闘争をめぐる新左翼と日共の対立を徹底したディスカッションドラマとして描き、浅沼社会党委員長が右翼テロによって視察された直後、資本の手によって上映禁止となった事件があった。その再上映運動が全国で展開され、大阪での大阪市大、関西学院大学の学生による運動によって、上六地下劇場で再上映が実現したことがある註1。権力は民衆の議論を嫌がり、議論にふたをする。形は違うが「沈黙し議論が起こらない」今の時代に、この映画はディスカッションを誘発する映画なのである。

 ◆「日本国と世界の為」と思想的確信犯
 植松被告は、犯行にあたって、安倍総理に会おうとして果たせず、衆議院議長に次のような現代日本の「優生思想」の思想的確信犯としての手紙を送っている。
大島衆議院議長への手紙
 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気に欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
 障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活が困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
 戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを産みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
 障害者は不幸を作ることしかできません。私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。
 本当は後2つお願いがございます。医療大麻の導入。精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり、人生に絶望しております。心を壊す毒に頼らずに、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可欠だと考えます。私は信頼できる仲間とカジノの建設、過ごすことを目的として歩いています。
 日本軍の設立。入れ墨を認め、簡単な筆記試験にする。
 作戦を実行するに私からいくつかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。心身喪失による無罪。新しい名前、本籍、運転免許証などの生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。日本国と世界平和の為なにとぞよろしくお願い致します。想像を絶する激務の中大変恐縮でございますが、安倍晋三様にご相談いただけることを切に願っております註2。           植松 聖

 ◆安倍「改憲」に刺激された〈強い日本〉への共鳴
 この文書からみえるのは、「優生思想」の立場にたって「もっとも弱い立場にある重復障がい者」を抹殺することを「日本国と世界の為」と言い切り、安倍首相や大島衆議院議長に誇示する態度であり、事件後も殺した重度障がい者への反省は今に至るもみじんもないことである。特に安倍首相の「憲法改正」に沿う医療大麻の導入、日本軍の設立という日本の未来のために行動しているとする確信犯的殺人思想の誇示であり、それが超法規的に安倍首相には認められるはずとする想いである。そこにカジノ容認と入れ墨という若者右翼の行動様式からする発言があるがそれは、けして精神病者の発言ではない。
 それは、植松が『創』の編集長あてに送った「新日本秩序」と題した7項目の世直しノートを見れば、バブル崩壊後の低迷した社会に育った若者の屈折した思考とその出口がわかる。
 1・意思疎通のとれない人間を安楽死させます。
 2・大麻は嗜好品として使用を認める。
 3・カジノ産業に取り組みます。
 4・軍隊を設立します。
 5・婚約者以外と性行為をする場合は避妊を義務づける。
 6・女性の肥満を治す、また初回の整形手術費を国が負担する。
 7・地球温暖化を防ぐ為、遺体を肥料として使用する。
 それは、2.26事件の皇道派将校・北一輝の「日本改造法案」や「国体論及び純正社会主義」に比べて比較にならないほど貧弱である。「意思疎通のとれない人間を安楽死させ」るなどの「優生思想」と「軍隊を設立」の右翼的言辞ははっきりしているが、「大麻」や「カジノ」、「女性の肥満」「遺体の肥料」化など社会改造提案は粗雑だ。そこには、戦後民主主義の感覚は何一つなく「強い日本」の「新日本秩序」だけが意識されている。

 ◆繰り返されたライシャワー事件の回路
 1964年、ライシャワー駐米大使を襲った反米右翼の確信犯的テロを自民党内閣は政治問題化するのを避けるため、精神科に通っていたことで慌てて精神病者の事件にしたてた。犯罪を起こす(可能性のある)精神障害者に対する対策が必要だとされ、1965年1月に精神衛生審議会は精神鑑定医・精神障害者の緊急入院・保護拘束制度の創設などを答申。治安・社会防衛の観点を全面化させた。そこから重度障がい者を長期隔離する大型施設がパラダイスのようにうたうコロニー構想として全国的に展開された。
 映画では次のように歴史的映像と共に紹介される。
 「津久井やまゆり園が出来たのは1964年。当時全国に大規模施設が建設されていった。それはコロニーと呼ばれていた。間も無く入所者達の中から、施設改革改善要求の声が上がった。特に当時東洋一と言われた重度心身障害者の収容施設、府中療育センターでは、都庁前に1年9ヶ月も座り込む闘争が行われた。それは外出、外泊の自由もなく、女性は髪を切られ、入浴や生理の手当ても男性が行うなど、およそ人間的な暮らしとは言えないものだったからだ。この闘争から、障害者の地域での自立生活、そして就労を目指す運動が始まった。「鳥は空に、魚は海に、人は社会に」と訴え続けて来た。少人数のグループホームも各地に作られている」。
 また浅野史郎元宮城県知事の証言が鋭い。
 浅野は2004年県内でも特に重度の知的障害を持つ人達の為の船形コロニーを解体し入所者全員を地域生活に移行させるという「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を発表している。そのインタビューで浅野は「入所施設はおかしいと思った時に浮かんだのは、人権です。知的障害者の人権というのは、生まれてきて良かったなーと感じれる権利だと思ってる。私が厚生省に入った時、多摩ににあった島田療育園を見た。重度心身障害者を初めて見た。廊下にゴロゴロ転がっている、よだれ垂らしてわーと呻いている。凄くショックだった。この人達、何のために生きているんだろうとも思った。でも、その時案内してくれた人が、「この人達何も出来ないと思うでしょう。でも今日出来ない事が、明日出来るようになる」といった。ポイントは進歩です。よだれ垂らして重度の障害者でも進歩がある。進歩が、人間が生きるという本質だ」。
 安倍内閣もまた措置入院対象者として「精神障がい」がこの事件の原因として組み変えた。つまり安倍首相の改憲論の強い日本論に刺激されて社会の最も弱い重複障害者への抹殺思想、排外主義に走ったのを精神病としたのだ。
 事件のあくる日、塩崎厚労相大臣が記者会見し、三日後には、安倍総理は関係閣僚会議を開いて、措置入院のあり方を指示した。2017年には、「精神福祉法」の改悪が画策され、4月の参議院の大臣の「趣旨説明」の冒頭には「相模原市の障害者施設の事件では、犯罪予告通りに実施され、多くの犠牲者を出す惨事になった」と発言した。法案改悪のポイントは、措置入院患者の退院後に自立支援計画を策定する際に、@警察行政の関与、A計画策定に本人又は家族の参画を認めず、それを送付するだけ、という人権無視の内容である。改憲と警察国家の相乗化が意図されている。先の衆議院解散で廃案にはなったが、その後の通常国会に再提出され、継続審議のままで止まっている。
 堀利和元参議院議員は、この手紙を「やまゆり園」に直接もっていけば脅迫罪、また経緯からいっても威力業務妨害罪、少なくとも偽計業務妨害罪で刑法の対象であったはずである。それが措置入院対象者にさせられてしまった」と述べ続けている註3。

 ◆バザーリアの精神病院解体、ニィリエのノーマライゼーション
 この映画では、植松がやまゆり園の母体社会福祉法人かながわ共同会に面接、2012年12月に非常勤職員となり、翌年4月には常勤職員となったことが紹介されている。当初は好青年と思われていて「明るく意欲がある」と判断され、その会報には「1年後には仕事を任すことの出来る職員を目指して日々頑張っていきます」と書いている。ところが 勤務し始めて2年後には刺青を入れている事が分かり、ドラッグの使用も濃厚になるだけでなく「障害者は皆殺しにすべきです」 の発言を繰り返すように性格が急激に変わっていく。植松が体験した事では、浴室で溺れかけた入所者を救命した際、家族はそれを喜ばなかったといっている。
 そこには、大型の重度障がい者施設の「強制隔離」への植松の絶望が感じられる。それが制度変革に向かうのか、人に向かうのか。この時、植松がバザーリア医師の「自由こそ治療だ!」とした考えやニィリエの知的障がい者の入所施設における構造的論理を破壊した「ノーマライゼーションの原理」に触れ得ていたとしたらあのような悲惨な行為には発展しなかったのではないか。
 イタリア映画『輝ける青春』は、精神病院の解体・開放に至るみずみずしい社会運動の形成期を描いた作品がある。つまり世界が精神病院の縮小・解体に向かう時代が20世紀末には到来しているにもかかわらず、21世紀の10年代に入っても日本では、その情報は植松には遮断されていた。その結果、最初、当事者に同情していた植松は、日本の大型精神病院の地獄に絶望し、急激にそれが最も弱いところに暴力が向いていったのは明らかだ。

 ◆50年以上入院する患者数1773人
 その実情を最近の衝撃的な報道から拾ってみよう。
 一つは「毎日」。昨年8月、精神病床のある全国の病院で50年以上入院する精神疾患の患者数が、2017年6月末時点で少なくとも1773人に達することをスクープした。精神病床のある全国1625病院のうち1610病院から任意で情報提供を受けた。センターによると、入院患者は計28万4172人。入院期間が20年以上の患者については集計しており、2万5932人だった註4。
 もう一つは「東京」。2月13日のトップで「精神科調査 非開示相次ぐ 患者の在院日数 隔離・拘束情報」を報じた。市民団体「精神科医療の身体拘束を考える会」の調べで、「厚生労働省が毎年6月ごろ、都道府県を通じて精神科の医療機関の実態を把握する目的で実施してきた調査「精神保健福祉資料(630調査)」について、都道府県に対して情報公開請求したところ、個人情報保護を理由に非開示とされるケースが続出している」というもの。「従来は開示され、患者が病院を選ぶ判断材料としてきただけに、関係者からは「患者の医療選択権に関わる実態」と疑問の声が上がっている」としている。そして「毎日新聞が同調査などを基にしたとみられるデータから「精神疾患で50年以上入院している人が少なくとも1773人に上がる」と報道。これに対し、日本精神科病院協会の山ア学会長が同10月、「患者の個人情報が流出する懸念」があると問題視し、「調査の協力について再検討せざるを得ない」との声明文を発表していた。考える会では、こうした経緯が非開示決定の背景にあるとみている」と報じた。

 ◆明治150年と「私宅監置」と「大型施設」
 日本には、家族が精神病者を自宅の座敷牢に閉じ込める「私宅監置」=監禁を行なっていた過去がある。昨年10月、きょうされんは、東京・中野で「私宅監置と日本の精神医療史展」を開くとともに映画『夜明け前−呉秀三と無名の精神障害者の100年』(今井友樹監督)を上映した。藤井きょうされん専務理事は、「明治維新から150周年といわれるが呉秀三が座敷牢を調査して100周年。歴史は繰り返すといわれるが、大阪の寝屋川や兵庫県三田市のように、精神障がいや発達障がいであるとされる人が自宅内の檻で生活し、命さえ奪われる現状が続いている。そして精神病院は現在の座敷牢、人間の尊厳を考え直そう」と訴えていた。
 呉秀三は、「座敷牢」に押し込まれる実情を憂い、その解決のために奔走した。そして報告書『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』を1918年に提起した。「我が国十何万の精神障害者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という言葉を残した。それはそのまま「津久井やまゆり園事件」の死傷した当事者の不幸に重なる。

 ◆「われわれはすでに彼らを地域社会から抹殺していた」
 堀利和共同連代表は、この事件直後にまとめた共著の「プロローグ 津久井やまゆり園事件と私たちの原点」の中で、このように述べている。
 「植松被告は津久井やまゆり園の重度重複知的障害者を殺したが、われわれはすでに彼らを地域社会から抹殺していた。
 植松被告は津久井やまゆり園の重度重複知的障害者の命を殺したが、親・兄弟姉妹は彼らの名前を抹消した。
 われわれの善意と恥の意識が、津久井やまゆり園の重度重複知的障害者を、被害と加害の関係性の中で殺した。
 津久井やまゆり園のこの事件は、殺した者が殺され、殺された者が生き還るという輪廻の世界を打ち立てた」註5。

 ◆「世間」はあっても「社会」がない日本
 この映画は、つめたい「世間」はあっても人権の「社会」がない日本の地域社会の問題についての議論に行きつく。日本社会は明治の「私宅監置」と戦後の新憲法の元で「大型施設」をつくって重度障がい者を隔離してきた。刑余者もシングルマザーも似た境遇にある。
 呉秀三の指摘した「この病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたる不幸」とは、健常者だけの「世間」をつくって、さまざまな社会的不幸に見舞われている人と「共に」生きる「社会」をつくってこなかったことにある。障がいがあってもなくても子どもたちが普通学校で共にまなぶことがない。イタリアでは、重度でベットの子どもたちが普通学級にいる時代だ。問われているのは私たちの地域・職場でのあり方である。競争社会の「世間」の壁を取り払う市民運動と市民社会の創りなおしが今、問われている。
 「誰も置き去りにしない社会の実現をめざして」という言葉を掲げたSDGsの運動が今、大変注目を浴びている。国連では2015年、「持続可能な開発に関するサミット」を開催し、15年間かけての「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択、2030年に向けて国際社会は合意した。そのために、私たち市民がなすべきことを提起し、達成すべき17目標の(ゴール)と169のターゲットを定めている。そのSDGsの中心に座る言葉が「誰も置き去りにしない社会」である。言葉だけが独り歩きし実態を伴わないのを許してはならない。

 ◆「第三の働き方−労働統合型社会的事業所」の制度化を
 そのためには、今の一般就労と福祉的就労しかない日本の就労の仕組みに「第三の働き方−労働統合型社会的事業所」の制度化が待たれている。「社会的連帯経済」で問われているのは、1970年代に、イタリア社会協同組合B型が切り拓いたさまざまな「社会的に不利な立場の人々」を30%組織したならば、最賃以上の労働条件で職場が提供される仕組みであり、2007年に韓国に生まれた「社会的企業育成法」では「脆弱階層」規定で「労働統合型(WISE)がアジアで生み出されたのだ。日本の介護保険制度の社会サービスはイタリア社会協同組合A型で、健常者がハンディキャップのある当事者を支援する福祉サービスの範疇である。だが社会協同組合B型は支援型ではなく「共に」働く仕組みである。障害者総合福祉法のB型は福祉的就労、賃金と呼ばないで工賃と呼ぶミゼラブルな低価額になっており、その袋小路におちいっている。これでは社会的排除にあっている者は地域に帰れない。そこを変えるのが政治の役割である。

 ◆「鳥は空に、魚は海に、人は社会に」を!
 この映画は、手足の不自由なきいちゃんのお姉さんの結婚式にまつわるエピソードで、この事件にある「世間」、それとの闘いなしには日本の市民社会は育っていかないことが鵜澤夕希子の秀逸な作画と共に描かれる。この映画を地域・職場で上映し、対話を広げよう。その時、半世紀前の重度施設解体のスローガン「鳥は空に、魚は海に、人は社会に」は今こそ私たちの実践理念としてよみがえる。
 〈問い合わせ先〉澤則雄のGMAIL <noriosawa73@gmail.com>
 
註1「大島渚作品批評『発進』−関西自主上映パンフ」(加藤勝美・神村隆志 1963年)
 註2 衆議院議長あての植松被告の「手紙」一部カット(出展:ニュース速報JAPAN)
 註3「津久井やまゆり園事件と私たち」(『解放新聞埼玉』第1035号 2018.9.15)
 註4 精神疾患全国調査(「毎日」2018.8.21)
 註5 『私たちの津久井やまゆり園事件−障害者と共に〈共生社会〉の明日へ』(社会評論社2017.9)
   2019.2.25


〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔eye4569:190226〕
(←このサイトの許可条件ですので、左記を明示しています)
 


◆共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す。
(NPO障害者の職場参加をすすめる会。山下浩志事務局長のブログより)
(2019.04.13)

 津久井やまゆり園の事件とその日の絵日記の旅−分けられた教育・労働・福祉と「すったもんだ」の地域
   
(作成日時 : 2016/07/29 23:57)
   
https://yellow-room.at.webry.info/201607/article_5.html


  
  


 「世界が平和になりますように」という障害者大量殺人直後のメッセージ。

 「2025年問題」、「2035年問題」と称し、少子高齢化の深まりが「自治体消滅」、「社会保障崩壊」をもたらすとして、国を挙げて煽られている危機感。

 その中から浮上している「安楽死」、「尊厳死」、「与死」を叫ぶ声の高まり。そして、すでに人を「臓器工場」とみなすことを公認した「脳死」。

 こうした時代の空気を吸って、彼が殺人者となった。
 
 

 こに示された優性思想は、1970年青い芝が「母よ!殺すな」と訴えた、横浜での障害者殺しの減刑嘆願の当時の優性思想とは、比べ物にならないほど膨れ上がっている。

 決して容疑者の特性に帰してはならない。分ける教育、分ける福祉、分ける労働が、私たちの社会をここまで連れてきてしまったのだということ。

 津久井やまゆり園を神奈川県が作ったのが、1964年。高度経済成長に対応した「労働力不足」に対し、農村からの出稼ぎや集団就職が促進された時代。
 さらに家庭生活を支えてきた女性たちを育児、介護をはじめとする家事から解放し労働力とする流れが進む中、家の奥でひっそり生きてきた重度障害児者に対し、「光」が当てられた(「この子らに光を」さらには「この子らを世の光に」 )。津久井やまゆり園は、その先駆けのひとつだった。
 この「光」は、さらに1970年代を通して拡がり、国、都道府県レベルで山奥の大規模コロニーへの隔離・収容施策につながってゆく。

 

 同じ流れが、1979年の養護学校義務化だった。これまで「就学猶予・免除」を親から申請させ、家の奥での暮らしを強いてきた国・自治体が、一斉に養護学校をつぎつぎと新設し、地域の学校で学んでいた子どもたちも一律に養護学校へ移るよう強制し始めた。

 とはいえ、1981年の国際障害者年、その後の国連障害者の十年を通じて、こうした分ける施策は必ずしも成功しなかったといえる。
 その要因としては、オイルショックに示されるように、日本の高度成長は終わりをつげ、長期不況の時代が始まったことが挙げられる。

  
 

 また、地域で共に育ち、共に学び、共に働いて生きてゆきたいという取り組みが、全国いたるところで噴出した

 こうして、大規模隔離収容の路線拡大は阻まれたが、分ける施策は新たな路線を準備していた。教育の分野では、普通学級で学びながら週1回ないし数回、通級する制度が導入され、これには反対もなく、年々利用者が増えていった。そして、ずっと減り続けていた養護学校、特殊学級の生徒数が再び増加に転じるのが、1995年前後。それからは、少子化により地域の学校は廃校が増えても、特別支援学校(養護学校)、特別支援学級(特殊学級)は増え続ける。

 このように、山奥への隔離ではなく、地域の中で分ける流れが、進んでいった。2000年の社会福祉の基礎構造改革と介護保険、そして2004年の改革のグランドデザインと2006年からの障害者自立支援法の大嘘!

 「介護の社会化」、「施設から地域へ」、「福祉から一般就労へ」と銘打ちながら、実際はなんだったのか?!
 けっきょくは、福祉の市場化と、非正規労働力の創出が一挙に進み、地域の中できめ細かな分類処遇が拡大した。そして、津久井やまゆり園のような、昔からある山奥の隔離施設も解体されることなく、新たにセンター的な位置づけを与えられてしっかり残っている。
 「あかんねん」と言われた養護学校も、なんと「インクルーシブ教育システム」の中で、地域の「センター的役割」を与えられて。
 
 「母よ!殺すな」の時代は、山奥の隔離施設しかなかったから、かなり重度の障害者も街の中で働いていた。差別に満ちた現場ではあったが、差別をかわしたり、ごまかしたり、時には闘うすべも身に着けた。相手も、いじめやからかいもしたが、時には怒りの反撃にあい、つきあい方をいやおうなしに身に着けた。青い芝の横塚さんも、生家の土地の一角で養鶏場を営んだと聞く。ある自閉症の少年は、毎日学校帰りに自転車屋へ寄って、主人の修理や組み立て作業を暗くなるまで眺めていて、卒業後に弟子入りすることになった。

 そんな地域にも受け入れられず、家の奥でひっそりと、時には縛られたりもして生きていた重度障害者がおり、その家族の負担を肩代わりし、本人も死ぬまで安心して生きられる場として、津久井やまゆり園のような大施設が作られたのだった。

 あの盲ろう・下肢マヒの橋本克己画伯も、1979年3月、埼玉県立コロニー嵐山郷の入所決定が来たが、家族は悩んだ末、泣きながら「もう少し地域で生きてみよう」と入所を断った。その当時のことを、母ミツエさんはこう書いている。(下の写真は、その当時の、まだ家から出始めたばかりの橋本画伯)

  
 

 「克己を抱えて毎日の苦難が続いた。
 毎日病院通い。3年機能回復のために通った北療育園で訓練方法を学び、自宅でも訓練を施した。子どもが不憫で、「死」という気持ちになったこともある。でも、深い愛情は続いた。正常な子と同じ喜びや楽しみを味あわせたいという親心から、自転車を改造し車椅子にして、外で遊ばせるようにもした。遊園地や行楽地にも連れて行った。
 だんだん体も成長し、家で閉じこもるようになり、暴力をふるうようになってしまい、骨折数回、眠れぬ夜がたびたび続いた。
 このままでは家族ともダメになってしまうと思い、福祉の正木さんにもお願いもした。昨年10月、工藤さんからの明るい話『わらじの会』 進んで参加させてもらった。私も見に行った。楽しそうな姿を見て、本当に生きがいを感じた。
 わらじの会に参加して8ケ月。嵐山コロニー入所の許可も無視して。今では、例会や手話、またセントラルで泳ぎを練習。克己も世界の広がり、大勢の人たちとのふれあい、社会性に尽くして下さる皆さんに感謝しております。」(月刊わらじ 1979年6月号)

 ひるがえって、現在は市場化された福祉が市場競争を通してさらに市場拡大を進める中で、「地域の施設化」と言うべき状況が生じている。そこでは、障害の状況や家族の状況、自治体の方針等も含めて、地域の中できめ細かに生きる場を分け隔てられる。分けるために莫大な資本が投下され、分けたことによって、また新たなサービスが求められ、また投資が行われる。

 障害の特性や本人のニーズに合った個別支援という名目で、一人一人が独立した人格としてではなく、支援があって人格たりうる存在として位置付けられる。かってのようなあからさまな差別は影を潜めた代わりに、支援者なしでは対等に付き合うことができない、特別な市民として、敬して遠ざくべき対象となる。

 また、福祉の市場化がとめどなく進むことに対し、社会保障費の「費用対効果」を問い、「自助」・「互助」の価値が重視され、「生命(生活)の質」の評価が叫ばれている。その渦の中から、「脳死」に続く「安楽死」、「尊厳死」、「与死」の合唱が大きくなろうとしている。

 津久井やまゆり園で犯人が選んで襲ったという「意思疎通できない人」というイメージこそ、この「個別支援の対象者」であり、「生命(生活)の質」を評価さるべき対象者であるという視角からの人工的産物だ。だから、このイメージは、巨大施設・やまゆり園という場だけでなく、施設化された地域のあらゆる場面で再生産されるだろう。

 なにを考えてるのかわからない、しゃべらない、まったく動かないように見える子どもに、一緒にいる子どもがちょっかいを出す。そして笑う。次の瞬間には、その子を忘れて、他の子と遊び始めたり、けんかしたりする。あの子がそっちをみつめる。意志疎通とは、そんなすったもんだのことだ。

 以下は、津久井やまゆり園の事件の日、7月26日(火)に、まだ事件のことをあまり知らなかった筆者をはじめとする「絵日記の旅」一行がたどった「すったもんだ」。facebookにUPしたもの。
  
  

 

 盲ろう下肢マヒの橋本克己画伯、褥瘡の手術を終え加療継続中。絵日記の旅一行は、本日も画伯ご託宣を忠実に守り、春日部へ行き帰路に画伯を見舞う。マドンナ達と手と手を合わせ、満面の笑みの画伯。その様子を見て、隣のナースステーションから、「気晴らしになるわね」、「少し視えるの?」、「少し聴こえるのかしら?」と看護師さんたちがかわるがわる。今日も電源OFFのTVにつなげたイヤホーンを装着している画伯に、不思議不思議という様子だったらしい。

  

 

 1Fで行きと帰りに通院介助中らしきヘルパーのMさんに会い、待合室で障害者の親Iさんに会う。Mさん、「あらもう帰るの?」
たしかに10分ぐらいの面会時間だけど、絵日記の旅7人の存在感は十分。

 後から母ミツエさんに電話で報告したところ、明日傷跡の処置の指導を受けに行き、明後日退院予定とのこと。

 本日は、画伯の前に、精神科病院長期入院中のKさんにも久しぶりに面会してきた。かなり腰が曲がり、何度も「ボケちゃった」と口にしていた。かって退院促進の候補として紹介され、絵日記の旅にも一時参加していたのだが。


 2006年以降、「入所施設から地域へ」、「精神科病院から地域へ」、「福祉施設から一般就労へ」という目標が、常に福祉計画の柱としてたてられてきたが、うさんくさい感じがしてならない。

 「福祉施設から一般就労へ」という目標については、就労移行支援という新たな通過型施設を作ってしまった。これまでの授産施設や更生施設にあたる就労継続Bとか生活介護から一般就労へというならわかるが。けっきょく実績はほとんどが就労移行支援からで、しかも全国平均では就労移行支援利用者の3割くらいにすぎないのだから、国の計画自体が羊頭狗肉というしかない。

 その国の作戦に動員されて就労移行支援サービスを立ち上げた事業者の中には、稼げるときに稼いで、潮目を見てさっと資本をひきあげようという事業者もいるだろうが、まじめに就労移行支援をしようとする事業者に対し、本来なら職場実習やトライアル雇用等を地域の事業所が受け入れやすいように国が自治体を通し地域の企業への支援等の環境整備をしなければならないのに、カネ以外は何も支援しない。
 以上のことについては、稿を改めて述べるので、これくらいにしておく。

 精神科病院からの地域移行について考えると、病院としては「まず受け皿を確保して地域移行」という発想に行ってしまう。下図もそれを示している。


 


 筆者が関わっているグループホームに精神科病院のケースワーカーが電話してくる際、「いま空きはないが、見学はいつでも受け付けているのでどうぞ」と答えると、それで連絡は途絶えてしまう。

 地域で暮らすということは、さまざまなリスクや迷いを経験しながら周りとの関係を築いてゆくことだ。精神科病院のスタッフもそのプロセスにまきこまれながら支援のあり方を変化させてゆくことこそ地域移行のひとつの要点だとつくづく思う。

 絵日記の旅でつきあってきたKくんの場合も、長期入院者が外へ出れば、禁止されてきたことを一挙にやろうとして周りとトラブルになるし、周りは病院スタッフとは異なって人によりさまざまな対応をする。そこでもまれながら折り合いをつかみ取ってゆくしかない。それを旅の仲間としてつきあいながら、一緒に試みてみようというのが、絵日記の旅。社会的入院の世界と街の間には、みえない大きな断絶があることを、病院スタッフも時には一緒に体験して感じ取ってほしかった。Kくん自身、疲れて、外へ出られなくなり、参加が途絶えてしまったが、そういう波を含めて、移行のプロセスとして、病院からも地域へ出てゆく姿勢を保てないものか。

 そういう姿勢がないままに、受け皿ばかりを求める発想が、病院敷地内グループホームとか、病棟転換型施設につながっていると考える。

 


 津久井やまゆり園の事件―「障害者のためのインフラ整備」の背後で問われる「異なる他者」
   
( 作成日時 : 2016/08/03 00:24 )
   
https://yellow-room.at.webry.info/201608/article_1.html


   
  



  1.「排除の思想に恐れ・憤りー相模原殺傷 障害者への『壁』指摘も」

 「『なぜ障害者だけ切り捨てられるのか』。脳性マヒで身体に障害がある春日部市の女性(58)はそう話した。」
 「障害者の就労や地域との交流を後押ししてきた越谷市内の障害者施設で働く男性(39)は、車いす利用者がバスの拒否にあったり、アパートを借りたくても断られたりと、障害のあるなしで分け隔てられる現実を目の当たりにしてきたという。『障害者に対する差別意識は個々の中に多かれ少なかれ存在してきた。決して植松容疑者だけの特異な問題ではない。」(朝日新聞埼玉版・2016.8.2)

  


 この記事が載った同じ紙面に、「障害者自立支援法10年」の連載記事の第1回が載っている。...そのまとめー「営利、非営利を問わず、広く法人が障害者支援サービスを提供できるようになった障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)の施行から今年で10年。06年に最初の事業所を設立し、いま県東北部を中心に18事業所に広げ「県内最大手」となった……の歩み。そこには、だれもが心豊かに生きようと願う『挑戦』があった。」

 このように対比してみると、前の記事の中で、宇内一文常葉大学講師(社会臨床論)が述べている言葉があらためて響いてくる。

 「障害者と健常者の間にある壁を取り除くインフラは整いつつある。」、「ただ、差別する気持ちは簡単にはなくならない。どうすれば私たちは壁を取り除けるかを考え続けなければ。この事件を決して忘れてはいけない」

 「障害者自立支援法10年」とは、それに先立つ支援費制度の3年間を含め、障害者・関係者らの「地域で共に生きたい」というニーズを顕在化させ、充足させるためのインフラを整備すべく、民間資本参入を推し進めてきた10年だった。

  


 しかし、障害者のためのインフラのみが先行し、健常者との間にある壁はさらに高くなった。


  2.障害者自立支援法直前にあったほんとうの改革の波


  

 むしろ2006年に障害者自立支援法が施行される直前、それまでの福祉のありかたを根底から改革しようとする取り組みが、教育、福祉、労働等、さまざまな分野で、全国的に取り組まれていたのだ。その一例が、上の「船形コロニー解体宣言」(宮城県福祉事業団 2002年11月23日)だ。その一節を引用すれば……
 
 「今、施設で毎日やっている仕事は本当に入所しておられるみなさん達のためになることなんだろうか、本人達の幸せに繋がっていくことなんだろうか、ということにふと疑問を持ち、じっと周りを見渡すと、どうもそうではないんじゃないかと気づいてきた人達がだいぶ出てきたような気がいたします。不幸の淵に沈んでいくような生活をむしろ進めてしまっている専門職といわれた自分達のこの姿に気づいてきた職員が、だんだん増えてきた気がします。」

 「地域生活の支援の実務は、民間の社会福祉法人あるいはNPOとかの団体、市町村の社協など、福祉サービスのみなさま方の力を結集して、できる限り故郷に近いところで実施をしていきたいと考えております。長年、生まれ育った故郷から遠く離れて船形コロニーで生活し、本当につらい思いをされただろうと思います。そういうみなさん達に心からお詫びを申しあげて、船形コロニーの解体を宣言したいと思います。
 こうやって私どもが、まずこの宣言をして、そしてそこから新たなプログラムをみんなの知恵を集めて、障害を持つ人達の本当の幸せのためのプログラムを作っていきたいと思っております。」
 

 そして、2004年には、浅野史郎前知事が、県内すべての知的障害者施設の閉鎖をめざす「施設解体宣言」をした。しかし、2006年、障害者自立支援法施行とともに、村井嘉浩知事が解体方針を撤回した経過がある。

 埼玉県でも、2003年、土屋前知事による「全障害児普通学級籍」宣言がなされた。しかし、知事の交代と国を挙げての特別支援教育への奔流の中、分離・別学を固定化したうえでの「支援籍」に終息してしまった経過がある。

 これらの改革がつぶされた結果として、健常者の中の特定の人間だけが職業として壁の向こう側に出入りし、それ以外の者はつきあい方がわからなくなってゆく時代が始まった。

 3.ニーズがあるからと分け隔て、生命・生活の価値を判定

 健常者たち同士が前よりも異なる他者との出会いを避けるようになった。障害者の中でももちろん。


  

 ニーズがあるからと特別支援学校・学級が増設され、子どもたちがさらに分け隔てられてゆく。

  


 ニーズがあるからと新型出生前診断が行われ、まだ臨床研究の段階にもかかわらず、3万人が受け、異常ありとされた417人中の394人(94%)が人工妊娠中絶をしている。


  



 ニーズがあるからと脳死が人の死にされ、ニーズがあるからと尊厳死が準備される。

 「地域で共に生きたい」という個々のニーズに基づいて、生命・生活の質を判定する基準が整備される。救急のトリアージのように。そうした時代の空気と、やまゆり園の事件は無縁ではない。

4.異なる他者との出会い、もみあい、つきあい

 「共に生きたい」個々のニーズに即応するだけではなく、ニーズも定かではない、存在そのものも消されている、さまざまな他者と出会い、もみあい、つきあいながら生きる。それを支えることこそ、いま切に問われている。

 2000年代前半に試みられようとした施設解体、全障害児普通学級籍は、いずれも「分けられたところから一緒に」というたいへんな苦労を伴う取り組みだった。もし実現していれば、大きな社会実験だったはずだ。軋轢を伴いながら一緒に生きる。その体験を通し、もっと早くから、子ども時代から、生まれたときから一緒がいい、それしかないことを、誰彼となく感じ取れただろう。それらが挫折した上に、いまの時代状況がある。

 いまここから、また一緒に歩きだそう。


  

 「遺伝学の進歩が人種との関連性を断ち切った代わりに、出生前診断による中絶の自己決定を後押しする『ネオ優生学』の時代も到来しつつある。
 異なる他者について想像力を持たないまま自己決定権を享受した人々にとって、至近距離に入ってきた他者はモンスターだ。他者を知り共に生きようとする極と、他者を抹消しようとする極のどちらに、今、振り子はふれているのだろうか。」
(「障害者の受容と排除の歴史」 小児科医 熊谷 晉一郎  読売新聞 2015・7.12)

 
   
『私たちの津久井やまゆり園事件 障害者とともに〈共生社会〉の明日へ』(堀利和(編著)、社会評論社、1800円+税、2017年9月8日、四六判並製、280頁 )

(2019.04.18)

2016年7月26日早朝、相模原市の障害者施設で同所の元職員によって46人が殺傷された「津久井やまゆり園事件」が起こった。
この衝撃的事件は私たち一人ひとりに何を突きつけたのか。それぞれの生きる場からの多様な発言をとおして、〈共生社会〉への明日を模索する問題提起の書。





序文(ブログ「目録準備室」リンク)
http://ur0.link/FNjj

【目次】

プロローグ 津久井やまゆり園事件と私たちの原点 ・・・ 堀 利和

〈資料〉衆議院議長に宛てた植松被告の手紙

第I部 重度知的障害者の生きる場をめぐって

第1章 被害者も加害者も社会から他者化された存在 ・・・ 堀 利和

第2章 障害をもった子どもが家族にいることをなぜ隠すのか ・・・ 尾野 剛志

〈資料〉第七回神奈川県障害者施策会議専門部会議事録
津久井やまゆり園「早く元に戻して」(福祉新聞)

第3章 重度知的障害者の生きる場さがしの人間模様
──5・27津久井やまゆり園事件を考える相模原集会

【講演1】息子の自立生活を実現して ・・・ 岡部耕典
【講演2】津久井やまゆり園を一旦再建してから ・・・ 尾野剛志
【全体討論】
【参加者の声】「共に学ぶ」運動をしている立場から ・・・ 名谷和子

第4章 地域にこだわり地域に生きる

津久井やまゆり園再生──共生の明日へ ・・・ 平野泰史
悩みこんでいる自分 ・・・ 岩橋誠治
自治体・地域を変えて 施設からの出発(たびだち) ・・・ 伊藤勲
誰もがともに暮らせる社会をめざすことが地域生活移行だ! ・・・ 佐瀬睦夫
真犯人は「隔離収容施設」である ・・・ 斎藤縣三
「教育」の場から、優性思想を問わねばならない ・・・ 高木千恵子

第5章 入所施設は重度知的障害者の生きる場か──日本とスウェーデン ・・・ 河東田 博

第II部 措置入院者への警察の関与を問う
──治安対策としての精神保健福祉法の改悪

〈資料〉安倍晋三内閣総理大臣通常国会施政方針演説
二〇一七年四月一一日参議院厚生労働委員会議事録
自由民主党こころ 石井みどり議員

第6章 社会がつくる精神障害 ・・・ 藤本 豊

第7章 措置入院という社会的障壁 ・・・ 池原 毅和

第8章 精神保健福祉法改正の過程から見える問題点 ・・・ 長谷川 利夫

第9章 相模原事件から精神保健福祉法改正まで──抵抗の軌跡 ・・・ 桐原 尚之

第10章 精神科病院からの地域移行──現状と課題 ・・・ 山本 深雪

【海外比較コラム】精神科病院の脱施設に関する情報 ・・・ 浜島 恭子

第11章 当事者は輝いている

非自発的措置入院の体験と今を語る──人間のリカバリーとは? 人間の幸福とは? ・・・ 藤井 哲也

人間らしく下町で ・・・ 加藤真規子

したたかに生きまっせ ・・・ 高橋淳敏

エピローグ 再び「共生」を問う ・・・ 堀利和

堀利和
小学校4年生の時、清水小学校から静岡盲学校小学部に転校、東京教育大学附属盲学校高等部、明治学院大学、日本社会事業学校卒。参議院議員二期(社会党、民主党)。立教大学兼任講師。現在、特定非営利活動法人共同連代表。『季刊福祉労働』編集長。〈著書〉『障害者と職業選択』共著 三一書房(1979年)『生きざま政治のネットワーク』編著 現代書館(1995年)『共生社会論─障がい者が解く「共生の遺伝子」説─』現代書館(2011年)『はじめての障害者問題─社会が変われば「障害」も変わる─』現代書館(2013年)『障害者が労働力商品を止揚したいわけ ─きらない わけない ともにはたらく─』社会評論社(2015年)『アソシエーションの政治・経済学─人間学としての障害者問題と社会システム─』社会評論社(2016年)他















▽2018.12.15更新

▽2019.02.23更新

▽2019.03.21更新
















◆NPO法人障害者の職場参加をすすめる会
 〒343-0023
越谷市東越谷1-1-7 須賀ビル101
職場参加ビューロー・世一緒(よいしょ)内
TEL 048-964-1819
FAX 048-964-1819
shokuba@deluxe.ocn.ne.jp








 ◆障害者就労支援事業所「せんげん台 世一緒」


 

 ▽東武線せんげん台駅西口下車7分。
 〒343-0041 
  越谷市千間台西3-1-16

TEL.048-971-8037
FAX.048-971-8037

dokkoisyo3116@yahoo.co.jp


 
◇編集 山下浩志
◇制作 飯島信吾(インターネット事業団

UP 2019年04月13日
更新 2019年04月15日

更新 2019年04月18日