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障害のある人もない人も共に生きる職場・地域を NPO障害者の職場参加をすすめる会

電話でのお問い合わせは048-964-1819

〒344-0023 越谷市東越谷1-1-7 須賀ビル101

ご用命は“NPO障害者の職場参加をすすめる会”へ。

◇長期不況で地域の困窮や孤立が深まっている現状に対し、雇用と福祉の狭間の身近な仕事おこしを目的に、福祉施設利用者や在宅の障害者の社会参加を兼ねて、本人たちによる定期的な事業所訪問や困窮者等をまじえたグループ・アルバイトを実施し、その経過をホームページやシンポジウム、コミュニティ・カフェ等で発信し、先進地の見学・交流も行って、共に働くすそ野拡大をする事業を推進。

information新着情報

◆2019年03月12日
▽2019年02月27日(水)、「環太平洋が照らす現在を生きる――大熊真弓さん(生活クラブ生協越谷ブロック地域協議会) 」をUP。
◆2019年03月07日
▽2019年02月20日(水)、「雇用と福祉の谷間のロング アンド ワインディングロードで――上田靖さん(障害福祉サービス事業所MINTのピアサポーター) 」をUP。
◆2019年03月01日
▽2019年02月27日(水)、「「ピアサポート研究会」のテーマ:「すいごごカフェとは」(2月27日) 」をUP。
◆2019年03月01日
▽2019年02月13日(月)、「不幸自慢の部屋から――幡本建祐さん(フラッシュバッグ研究者) 」をUP。
◆2019年03月01日
▽2019年02月06日(水)、「閉鎖・移転にめげず――中原清さん(就労移行支援「世一緒」の利用者) 」をUP。
◆2019年02月23日
▽2019年01月30日(水)、「童謡百年とバリアフリー社会ー命がけのわがままを――たそがれ世一緒管理人・樋上秀さん 」をUP。
◆2019年02月11日
▽2019年01月21日(月)、「パプアニューギニアの原生林を守る人々を再訪-越谷の百姓・倉川秀明さん 」をUP。
◆2019年02月06日
▽2019年01月16日(水)、「ベルタさん、ミゲルさんと「アンデスの心」の旅――まだ入口(すいごごカフェ) 」をUP。
◆2019年01月30日
▽2019年01月09日(水)、「排除する社会でー転学・転職経て「共に」を探る―野村さんトーク 」をUP。
◆2018年12月31日
▽2018年12月26日(水)、「バブル底辺労働を経て街であがき生きる――菅野 秀義さん(介護人、就労移行利用、GH入居者)」「街の人・菅野さん(12.26すいごごゲスト)へのオマージュ」をUP。
◆2018年12月22日
▽2018年12月19日(水)、「風邪って インフルって――水谷淳子さん(谷中耳鼻咽喉科院長)」をUP。
◆2018年12月18日
▽2018年12月05日(水)、「共生の現在を探る――山下 浩志(NPO障害者の職場参加をすすめる会)」をUP。
◆2018年12月11日
「これまでの“すいごごCafe”一覧」をUP。
◆この間は、次のページへ
◆2018年1月30日
「すいごごCafé」のページをリニューアル。。
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毎週水曜日午後に開催! 12月12日(水)~



2018.12.23
[2018年12月05日(水)からの「すいごごCafe」は(ここをクリックして)読んでください。


[2017年12月20日(水)から12月05日(水)]までの「すいごごCafe」は(ここをクリックして)読んでください。


[2017年4月5日(水)から12月06日(水)]までの「すいごごCafe」は(ここをクリックして)読んでください。





   


 2019.01.24

 

◇(山下浩志のfacebook・ブログより)

◆2019年2月の“すいごごCafe”

2019.03.12

環太平洋が照らす現在を生きる ――[2019年02月27日(水)の模様]。
 
●大熊真弓さん (生活クラブ生協越谷ブロック地域協議会)

  小見出しは以下。

 出会いは「うんとこしょ」
 集団自決、追放―戦争から生還した親たち
 ひとびとをつないできた海
 ネイティブ、ジェンダーとの軋みを生きる
 みんな一緒の学校で
 そして、いま、父母と埼玉で
 はるかな空を感じさせた語り

  
   (クリックするとfacebookのページへ)

 出会いは「うんとこしょ」

 生活クラブ生協越谷ブロック地域協議会とケアシステムわら細工、そしてNPO法人障害者の職場参加をすすめる会、仕事おこし懇談会inこしがやが連携して、うんとこしょー共に活きる街の介護人養成講座をスタートさせたのが、2017年4月。そして、講座そのものは終了したが、2018年度も、「うんとこしょ」は団体相互の行事等への乗り入れと、共同イベントとしての梅見会、折に触れた会議等として継続している。2019年度もこのペースで取り組まれる予定。

 その「うんとこしょ会議」を生活クラブ生協の越谷生活環内「ふら~り」で開くとき、いつも進行役を務め、地域協議会への報告書案をその日のうちに送ってくれる人が、2月27日のすいごごカフェのゲスト・大熊真弓さん。

 すいごごカフェの告知には次のように記した。「大学時代のニックネーム『おきょん』をメアドに。吉川に住み、生活クラブと教会活動をパワフルに進める現在の思いをたどり、故郷八丈島の生活文化に遡る。」

 山上たつひこ作「がきデカ」の名セリフ「八丈島のきょん」は、実際には同島植物公園に飼われているが、野生化して増えているのは伊豆大島や千葉県のようだ。私自身その程度の認識しかないまま告知文を作っていた。

  ▽全文は下記のブログへ。
  
   (山下事務局長のブログへ)

 

 
  
 
  ◇写真:直井利雪

2019.03.07

雇用と福祉の谷間のロング アンド ワインディングロードで ――[2019年02月20日(水)の模様]。
 
●上田靖さん(障害福祉サービス事業所MINTのピアサポーター)


  
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 2月20日のすいごごカフェはせんげん台の就労移行支援「世一緒」で。毎月一度は就労移行・高瀬さんの企画立案で行うことにしており、今日のゲストは上田靖さん。この日は第3週にあたっていたため、すいごごカフェの前に、仕事おこし懇談会inこしがやとの連携による「Lunch Cafe どっこいしょ」恒例のキッチンとまとのカレー共食もせんげん台「世一緒」で開催された。

 ところで上田さんだが、今日は障害福祉サービス事業所MINTのピアサポーターとして登場いただいた。「私のリカバリー・ストーリーといってはなんだけど、いろいろ生きてきたことをお話しします。」と述べて語り始めた。筆者自身は上田さんに30数年前に出会い、一緒に動いたことがあり、その後も職場参加をすすめる会の集会などで時々会っている。だが、今日のようにまとまった話を聞くのは初めて。

 予めピアサポーターということで「支援するーされる」と暫定的にタイトルをつけて告知したが、あらためてその語りをまとめるにあたって、「雇用と福祉の谷間のロング&ワインディングロードで」というフレーズが浮かんできた。いわずと知れたビートルズの名曲の名に「雇用と福祉の谷間」をかぶせ。

 上田さんはてんかん発作を理由に中学時代いじめられた。が同じ発作を持つ友人ができ、一緒にブラスバンドに入ってパーカッションをやった。それは今でも盆踊りで太鼓を頼まれるなど、地域での役割にもつながっている。

 上田さんのてんかん発作は、精神運動発作で、一時的に意識がなくなりうろうろ動き回るタイプ。バイクや車の免許はだめだと親に言われ、大学卒業後も就職できず、1年生の福祉系専門学校に行って社会福祉主事の任用資格を取り、障害者施設で働こうと考えた。施設実習では普通に点数をもらえるが、就職となると「介護中に発作が起こったら危険」、「車の免許がなければ」と言われてどこも落とされた。

 それで、専門学校の先生の紹介でファミレスで働き始めたが、数ケ月後発作が起きてしまったら、社員からパートに格下げにされ、店からケーキ工場に異動。給料も月給から時給にされ、健康保険からも外された。仕事内容は皿洗いとか、焼き菓子を作った後の鉄板を削る作業だけになった。これが障害者の働かせ方か、ちくしょうと思い、数ケ月後に辞めた。これが雇用と福祉の谷間の入り口だった。

  ▽全文は下記のブログへ。
  
   (山下事務局長のブログへ)

 

 
  
  ◇障がい福祉サービス事業所 ミント
  ◇写真:直井利雪




ピアサポート研究会」のテーマ:「すいごごカフェとは」(2月27日)。

 
    (クリックするとfacebookのページへ)

 職場参加ビューロー世一緒では毎月第4水曜の11:00~11:50位の短い時間に、「ピアサポート研究会」を行っている。
 居合わせた障害者スタッフとサポーターが、日吉さんのファシリテートの下、その時々のテーマ(たとえば、家族とか薬とか)に関し、一言ずつ体験や意見を述べ合う。場合によっては二周、三周することもある。その発言はサポーターが、その都度ホワイトボードか模造紙に書き取ってゆく。
 これ以上時間を取ったり、討論の形になると、限られた人だけが参加する形になってしまう。短い時間だが、かえって全員がコンパクトに意見を出せるし、書き取っていることからも、自分や他者の意見を確認でき、言いたい要点が反映されていれば納得できる。世一緒の現状にはあっている。模造紙の記録が後日PCに保存している。
 今日、2月27日のテーマは「すいごごカフェとは」だった。記録は以下。多元的な一言たちの集積から、「すいごごカフェ」という「語り」と「聴き」と「手話」と時には「歌」等が交錯しあう場の論理が立ち上がってくる。
※   ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 T:毎週ゲストを決めるのは大変だと思う。自分から話したいと思わないと思うが、話すことによって自分の経験をふりかえって、今までの悩みをさらけ出すことで、気持ちも整理できるかなと思う。自分はもうちょっとここに携わっての結果とか、これからどうしていきたいかわかってからやりたいと思う。ペルーの方とはこれまで接したことがないので、話が聞けてよかった。休憩時間の橋本画伯の手話タイムがいい。
 M:話していても、時々一方通行になる人も、中にはいた。ああ、こういう人も、いろんな生き方があるんだなと思った。JAXAの人の話は下町ロケットにもつながって興味深かった。
 N:自分は1月のすいごごカフェでゲストとしてトークした。準備期間はけっこうあったが、話していて、どうしても、ちゃんと伝わる部分と伝わっていない部分とある。Kさんのトークを聞いて、こんな仕事があるんだと、自分が今後の仕事を探すうえで一つのネタになった。
 H:第一に、知ってると思ってた人について、この人にこんなことがあったんだ、こんなこと考えてたんだという発見が毎回あったこと。第二に、障害者関係に限らずいろんな人にゲストに来てもらってるので、知らなかったことにも興味をもてるようになった。またゲストとして来てもらった人に街で会うと、向こうから声をかけてくれるような関係ができたのもすいごごカフェならでは。第三に、自分がゲストになってみると、いちばん伝えたいことを伝えるのがすごく難しかった。
 S:ピアサポート研究会は今日初めて参加。すいごごカフェは一回参加し、その時のゲストからピアサポーターの話を聞いて、もっと勉強したいなと思った。話し手によって、またテーマによって、気づかされることが多いので、今後も参加していきたい。
 K:自分がゲストになってしゃべった時、それまで小さい時の親との関係を言いたくなかったのが、話の成り行きで自然に話せた。あと長崎の施設での体験も話せてよかった。当時は通勤寮という名前だったがいまはグループホームに変わり、中身もちがってしまっているようだ。自分はすいごごカフェの時、いつもコーヒーを出す担当をしている。
 R:自分がゲストで仕事体験を話したとき、ダンプに荷を積みすぎて泥にはまってスリップして出られなくなった話をしたが、あれが面白かった。あと、ペルーの人が持ってきた衣装を着て興奮してたまらなかった。あれがほしい。
 G:すいごごカフェの報告がブログやfacebookに載ったのを印刷して活字で振り返ると、それぞれの語り手の思いがあらためてよくわかるなと思った。二度楽しめると思った。橋本画伯のミニ手話タイムなどを含む当日の雰囲気も好きだけれど。JAXAの北倉さんを招んだきっかけは、彼が家族ぐるみでだれもが暮らしやすいまちづくり実行委員会に参加していて、その実行委員会でJAXA見学の予定を立てていたけど、事務局長の西陰さんが倒れて中止になったのでその代わりにと考えた。
 O:ゲストで話したとき、来てくれる人にどうしたらわかりやすく伝えられるかを考えたが、ずぼらで準備できず、とっちらかった話になった。聞く立場としては、ペルーの人みたいに異文化の人と触れ合うのはいい機会だなと思った。
 A:いまある人にゲストを依頼して、聞き取りなどしている。すいごごカフェは2年やっているが、その前にも画廊喫茶としてこうしたトークの時間を時々持っていたことを思い出す。

◆2019年2月の“すいごごCafe”

2019.03.01

不幸自慢の部屋から ――[2019年02月13日(水)の模様]。
 
●幡本建祐さん(フラッシュバッグ研究者)


  


 職場参加ビューロー世一緒での毎週水曜の「すいごごカフェ」、2月13日のゲストは幡本建祐さん。私が初めて会ったのは、彼のお母さんがどの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会の就学・進学ホットラインに電話してきたことがきっかけ。当時彼は定時制高校生だった。当時彼は家で荒れていて、中学の時の嫌な思い出をひんぱんにフラッシュバックては壁に穴をあけたり、道路で通りがかりの子どもをいきなり殴ってしまったりもした。両親に対しても「なんで早期に自閉症の治療をしてくれなかったんだ」と暴れたという。
 本人に初めて会ったのは、それから数ケ月後。その年のバザーが武里団地の中央商店街広場で行われ、物資を前夜に広場に運び込み、一段落して、警備のためここで夜を明かそうという時だった。通信制高校を卒業して間もなかった樋上さんと二人で彼を電話で呼び出した。自宅にいた彼が、そう遠くない団地の広場まで来るのに数時間かかった。当時の彼は今では考えられないほどの方向音痴で、あちこち彷徨った末、交番に道を聞いてやっと着いたのだ。
 数ケ月後くらしセンターべしみが開所し、克己絵日記も出版され、翌年から幡本さんは橋本画伯の介助者になったり、児童文学やSFを書く障害者・故糸賀美賀子さんの助手としてべしみの一角で「不幸自慢の部屋」にも関わり始める。
 すいごごカフェで幡本さんは、「不幸自慢の部屋」についてこう述べる。「亡くなった糸賀さんという車いすの女性が、人を招いて、自分がどういう風に不幸かを話してもらいました。睡眠障害で寝ると嫌な夢を見るとか、いろんな人が来て楽しかったです。」ちなみに幡本さんはそれまで「ぼくは世界一不幸です」というのが口癖だった。
 そして「だんだんに落ち着いてきて、荒れたりしないようになってきた。」と語る。
 中学校の時をふりかえると、「テストがすごく嫌いで、クラスメートがテストの話をしてるのがすごく嫌で」。「自分はテストの成績はよかったんですけど、能力の欠陥があるんで、『勉強さえできればいいってもんじゃないんだ』と言われました。そのうち成績が下がってしまって、それを周りから責められてきつい思いをしました。」
 定時制高校については、「ぼくのほうにも悪いところがあったと思うけど、いじめられた子とも後から仲よくなれたからよかった。その頃の友だちと会うんですけど、いまもカラオケに行ったりとかしてます。」という。高校時代を回想して、「他人の感情を読むのが苦手だから、傷つけること言っちゃって申し訳ないと思います。今はだいぶんそういうことは減ったと思うんです。」とも。
 初めてわらじの会に来た1995年のバザーは夏で、冬にはクリスマス会に初参加した。「ユニークバンドの演奏に圧倒されました。それ以来毎年参加しています。これからも参加したいです。」
 長くなったので、現在働いている会社について。「中古コンピューターの会社で、緩衝材代わりにする段ボールを組み立てたりしています。仕事はうまくいってます。会社でもわらじの会でも、いい人ばかりでいやな思いをすることがないので、今の仕事を頑張って、家族とか友人とかを大切にして生きていきたいと思います。」

 

 
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2019.03.01

閉鎖・移転にめげず――[2019年02月06日(水)の模様]。
 
●中原清さん(就労移行支援「世一緒」の利用者)


  


 職場参加ビューロー世一緒で毎週水曜に開催しているすいごごカフェ。2月6日のゲストは就労移行支援「世一緒」の利用者の中原さん。彼の語りはいずれブログでたっぷり再現したいが、とりあえずfacebookで「速報」(もう3週余り前だから遅報?)を。
 彼の労働人生は、つい最近まで会社を転々としながらも、今の就労移行にたどりつくまで、退職してもすぐ次の企業に就職するという形でずっと続いてきた。だから、タイトルにあるように「閉鎖・移転にもめげず」なのだ。そのパワーの泉となったのが中学卒業後すぐ入ったタイル工事会社。川越にあった親方の家に住み込みで早朝から夜まで、時には徹夜を続けながらの青春だった。
 タイル工事の段取りを親方の仕事を見て必死に覚えたこと。現場の片づけでダンプに制限の2倍も積み上げ、タイヤが泥にはまってスリップし、パワーショベルで押し上げようとしたがだめで、大きなダンプでワイヤーをかけ、やっと引っ張り出したこと。その他、たくさんのエピソードがあとからあとから溢れるように語られた。成人の祝いも社長や親方はじめ、職人さんたちとの酒盛りでやってもらった。
 彼がタイル工事で働いた10年余りはバブル期からその崩壊、その後の公共工事による景気とどんづまりの「失われた10年」という時期だったんだなと、あらためて実感させられるエピソードの鎖だった。最後は会社の仕事がなくなり、住み込んでいた親方の家に両親が車で迎えに来た。車に荷物を載せ、自分は電車で帰った。南越谷で降り、普通なら15分あれば帰れる自宅まで2時間かかった。通りがかりの家でタイル工事をしている職人さんと話し込んだからという。「お帰り。今夜は親と顔を合わせて一緒にゆっくりご飯を食べな。10代で親と離すのはかわいそうだ。よっぽど君はいじめられたんだな。」と言われた言葉がいまだに耳に残っている。それほどまでにタイル工事は人生であり、世界だった。
 彼の親の世代だったら、親方の下で一から修行して、手に職もって独立させてもらうといった人生が一般的だった。だが、息子の時代状況はそれを許さなかった。迎えに来た親は、「失敗したな」とつぶやいていたという。
 しかしながら、その過酷な青春が、その後現在まで続く長い冬の時代を、不屈のパワーで乗り切る土台を築いたのだなといま思う。
話し終えた翌日の本人の感想文。「きのうタイルやのはなしをしてだんどりをあたまにかんがえてはなしをしてけっこうはなしがいっぱいになりよかったです。大工さんのはなしをして現場でくぎをうったり、ダンプにごみをのせたりしてダンプがどもにたいやがもぐりこんでスリップするのがおもしろくてたのしかったです。ダンプどうしでひっぱるのがすごくていんしょうにのこりました。さいごにはなしをつづけてぜんぶよみあげるのがすごいつかれてたいへんでした。」

 

 
   「水辺の市」で販売講習をしています(2018年12月11日)。
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◆2019年1月の“すいごごCafe”


2019.02.23

童謡百年とバリアフリー社会―命がけのわがままを――[2019年01月30日(水)の模様]。
 
●たそがれ世一緒管理人・樋上秀さん


  

  

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 樋上さんは語る。

 「樋上は童謡は専門分野。中学校の頃、詩を書き始めた。童謡詩人をめざし、童謡の雑誌に投稿していた。中学生の時、同じ脳性マヒでもっと重度の詩人の日々工(たくみ)を知った。

 彼は和文タイプライターで詩を書いた。3行書くのに、足を使って、5,6時間かかって書いていた。

 その彼の師匠が、この1日に亡くなった哲学者の梅原猛。自分は京都にいた日々工と中学生の時、3年ぐらい文通して、詩を教わっていた。

 印象に残っているのは『樋上くんは、もっと言葉を覚えて、言葉に苦しみなさい』という言葉。いまでも苦しみながら、書いている。」

 「1918年に『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉は、自分の娘に文部省からのおしつけの子どもの歌でなく、心から歌える子どもの歌を作りたいと考え、詩は北原白秋、西城八十などに、曲は山田耕作や中山晋平などに頼んだ。

 さらに童話のほうは、芥川龍之介とか菊池寛をはじめとする有名な作家たちが書いた。

 『赤い鳥』は世界的な市民文化の草分けといえる。

 その後昭和の戦争期には軍歌が歌われたが、戦後サトウハチローが登場する。樋上が童謡を書くきっかけにあった詩人だ。サトウハチローの「リンゴの唄」から戦後は始まったと言われている。

 北原白秋も山田耕作もサトウハチローも、どうしようもない人間だが、童謡を書かせたり、作曲させると、世界的な童謡が生まれた。

 サトウハチローといえば『明かりをつけましょ ぼんぼりに』が春で、秋は『誰かさんが誰かさんが誰かさんがみつけた』。百年たった今でも、春と秋にそれぞれ歌われている。サトウハチローはどうしようもない人間だが、いまだに歌い継がれている。」

 
▽全文は下記のブログへ。
(山下事務局長のブログへ)


 


2019.02.11

パプアニューギニアの原生林を守る人々を再訪――[2019年01月21日(月)の模様]。
 
●越谷の百姓・倉川秀明さん

  

  

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2019.02.06

ベルタさん、ミゲルさんと「アンデスの心」の旅――まだ入口(すいごごカフェ)――[2019年01月16日(水)の模様]。
 
●迫田ベルタさん・ミゲルさん(「アンデスの心の会」)

   


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2019.01.30

排除する社会でー転学・転職経て「共に」を探る―野村さんトーク――[2019年01月09日(水)の模様]。
 
●野村康晴さん(世一緒就労移行利用者)

   


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(野村康晴さんのFacebookへ)





◆2018年12月の“すいごごCafe”


2018.12.31

バブル底辺労働を経て街であがき生きる――[2018年12月26日(水)の模様]。
 
●菅野 秀義さん(介護人、就労移行利用、GH入居者)

   

  12月26日、就労移行支援「世一緒」で行われたすいごごカフェの報告を、「移行利用者・菅野さん バブル底辺労働を経て街であがき生きる」と題して、私のブログにアップしました。内容は以下です。

   

 Ⅰ.晴れ舞台に立って
 Ⅱ.バブル景気の底辺で働いた日
 Ⅲ.介護との出会い そして街で―荒井さん、大坂さんから 
 いわゆる雇用支援業界でよく就労体験談が紹介されていますが、大部分が、よい雇用環境に恵まれて働いているとか、働き続けられなかった原因はここだあそこだといった「労働力」的な中身がほとんどのように思います。「ここに人間あり」の視点をさらに探ってゆきたいものです。

 
 

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2018.12.31

街の人・菅野さん(12.26すいごごゲスト)へのオマージュ――[2018年12月26日(水)の模様]。

   

 さきほどアップした「就労移行利用者・菅野さん バブル底辺労働を経て街であがき生きる」の補足資料として、菅野さんを雇って介護を受けている荒井さんの「さよならかんちゃん また来てごはん」と題するエッセイと、本人の語りを中心とした暫定略年表を、「街の人・菅野さん(12.26すいごごゲスト)へのオマージュ」と題して、ブログにアップしました。

(山下事務局長のブログへ)




2018.12.22

風邪って インフルって――[2018年12月19日(水)の模様]。
 
●水谷淳子さん(谷中耳鼻咽喉科院長)


 12月19日のすいごごカフェ、ゲストは谷中耳鼻咽喉科院長・水谷淳子さん。この日は12:00から仕事おこし懇談会inこしがやとタイアップして毎月第3水曜に開催しているLunch Cafe どっこいしょの日でもあり、さいたまNPOセンター越谷支部の大家さんが手伝いに来てくれて、ワーカーズコレクティブ・キッチンとまとのカレーをコーヒー付き300円で提供した。今日はライスが古代米でとりわけ美味。キッチンとまとは弁当配達担当の人が自転車で転倒し、打撲傷を負ったとかで忙しい最中、持ち出しになりかねないカレー作り、ありがとうございました。

   

 さて、水谷さんの今日のお題は「風邪って インフルって」。パワポでなく、画用紙に手書きのプレゼン資料を見せながら、肩の力をぬいたトーク。連れ合いの私も、ああそうかと気づきがあり、面白かった。しょっぱなから「そうだよな」と思ったのは、風邪のことを医学部で学ぶことはないし、大学病院や大きな病院では風邪の患者さんは来ないので、下町の病院でのアルバイトで初めてそういう患者さんに出会ったという話。歴史的には遣唐使が「風邪(ふうじゃ)」という当時の中国医学の概念を持ち込んだのが初めで、あれこれ変遷してきて、いまの意味で使われるようになったのは、やっと明治になってからだそうだ。
 自然に質疑応答の形になって進行。風邪の医学的定義としては「自然によくなる上気道のウィルス感染」が妥当。それなのに「風邪は万病のもと」などと言われるのはなぜか。風邪のウィルスは200種類くらいある。プール熱を起こすアデノウィルスとか、手足口病のエンテロウィルスなども、風邪を引き起こす。
 熱はなんで出るのか?ウィルスが侵入すると異物と体が判断しいろんな機構が動き出す。体温調節中枢に働きかけ、体表面の血管を収縮させ血液の流れを少なくし、汗が止まり、筋肉が収縮して、熱が漏れ出ないようにするので寒気がしたり、熱が上がる。熱が高くなるとウィルスをやっつけやすいので、ここで熱さましを使ってしまうと逆効果になる。だから「風邪かなと思ったらすぐナントカ」というCMに乗ってしまうとかえって風邪をこじらせる。


   


 ここで「熱は上げた方がいいんですか」と質問あり。熱い風呂に入るのはどうでしょうと。たしかに風邪で熱が上がったからといって、それで脳炎になったりはしない。ただ熱い風呂に長いこと入っていると体が消耗しちゃうから、非常識なことはしないほうがいいとの回答。
 さきほどの「風邪は万病のもと」というのは正しくない。正しくは風邪とまぎらわしい病気がいっぱいあるということ。だから1週間様子を見ることが大事。実は肺炎だったとか、腎盂腎炎だったとか、蜂窩織炎だったとかいうことがある。風邪から病気が出てくるのではなく、最初にはわからなかったということ。風邪の薬は基本的にない。売薬の風邪薬は鼻汁を止めたり、熱さましで錯覚させる。そして病気の経過もわからなくしてしまうから、他の病気との判断もつきにくくなる。風邪は自然によくなる。
 新型インフルエンザも騒がれたが、あれも風邪。インフルエンザワクチンや抗インフルエンザ薬が宣伝されたが、その効果は証明されていない。これまでに唯一きちんとした調査が行われたのは前橋医師会による疫学的調査。ワクチンを止めた前橋市とワクチンを接種した高崎市の子どもたち全員の統計を取った。インフルエンザにかかった子どもの数はちがいがなかった。また、血液をもらって抗体を調べたら、発病していない子どもで抗体価が高い子が発病した子の倍から1.5倍いた。その調査で無効なことが明らかになり、全国的にワクチンをやらなくなっていたところに、新型インフルエンザということで一挙にワクチン製造が盛んになった。
 いま会社や保育所で、半強制的にワクチンを打てと言い、医師の証明書をもらって来いという状況。インフルエンザになった患者さんに訊くと、「ワクチン打ったけど、あれ効かないですよね」と言う。自然にかかった年輩の人たちは免疫があるからほとんど病気にならない。年が経つにつれて免疫が弱まるが、不顕性感染の人たちが社会にたくさんいると、「ブースター効果」といって免疫がまた強くなる。帯状疱疹が数年前からすごく増えているのは、子どもたちが水疱瘡のワクチンをみなやっているので、大人の免疫をまた強くするブースター効果が作用しないため。いまは赤ちゃんの時から何十種類ものワクチンをやっているので、これからの社会が心配。
 参加した人々からの体験や質問などとかけあいながら「笑点」のような今日のすいごごトークだった。

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2018.12.18

共生の現在を探る――[2018年12月12日(水)の模様]。
 
●山下 浩志(NPO障害者の職場参加をすすめる会)


 12月12日の世一緒すいごごカフェは、べしみで月刊わらじ製本作業があることもあり、ゲストの割り振りがめんどうだったので、私自身がゲストトークをした。先月佐藤秀一さんと一緒に大学生たちに発表した「共生の現在を探る」を用いた。写真は例の如く、元編集者でもあるサポーターの直井さん撮影

   

 この日の参加者の多くが世一緒の障害者スタッフだったので、彼らに問いかけるかたちで話した。佐藤さんは小・中学校で他の生徒より体が大きく力も強かったが、脳腫瘍の手術をして病院通いもあり、友達も少なく引っ込み思案の子だった。小学校の卒業文集では中学に行ったらいじめられると思うががんばると思っていること、担任の先生が「友達を一人作れ」と言われたことが思い出に残っていると書いていた。そして中学卒業後、小5に脳腫瘍で入院した時出会った同年齢の友達の世話で就職した。17年間普通に民間企業で働き、手帳を取ったのは不況で工場移転で解雇された後のことだった。他の参加者のうち4人が、「障害者」としてではなく企業で働いてきて、中にはつい最近手帳を取った人もいた。障害者になると支援は受けられるが他の人々と別々に分けられる。世一緒もその一つだ。参加した一人一人に、他の人々にまじって働いていた時はいじめや差別もあったろうけど、いいこともあったでしょと訊くと、口々にうん、いいこともあったと言いかわす。きめ細かな支援が整い過ぎている現在、こういう体験をしっかり掘り起こし伝えてゆく必要がある。
 つぎに橋本克己さんが交通渋滞を起こしている写真。「迷」い「惑」いながらの共生というタイトル。今日は製本作業に行っているが、いつもすいごごカフェでミニ手話タイムを担当している橋本さんの生い立ちを写真で。就学免除で家に一人ぼっちの経験は誰もない。19歳で街に出たが、その直前の写真の表情がこわばっているのを確認。ちょっとしたことでパニックになり、家族を傷つけたり、家を壊したことを、後になって本人が描いた絵。暴れるしかなかった橋本さんが、手動チェーン式車イスで「家出」ができるようになり、街でさまざまな老若男女に出会い、変わっていったこと。いつも渋滞に巻き込まれるタクシーが、無線で「車いすのあんちゃん出現。各車迂回願います。」と連絡して一斉に対応するなど、街も変わっていったこと。「障害」は〇〇ができないということばかりでなく、迷惑をかけながら一緒に生きることで、周りを、世の中を変えてゆくことでもあるんだと伝えた。
 先月の大学での授業の機会を提供してくれた沖山稚子さんから、学生たちが新鮮に受け止め、それぞれに刺激的なリアクションを書いてくれているという紹介もあった。
 なお、15日に昔70年安保闘争を共にたたかった友人たちと小さな勉強会をやり、そこで同様の報告をした時に、私がわらじの会編「地域と障害ーしがらみを編み直す」(現代書館 2010)で書いた「障害の地域モデル」について図示したところ、障害や福祉の枠組みを超えたテーマとして前向きに受け止められた。


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第2期すいごごカフェ&ゲストトーク!

 2019.01.24



  2018.12.20
 すいごごカフェ12/19~1/301時半のゲスト
   特に書いてないのはすべて越谷の世一緒で行います。


 12月19日(水)12:00~Lunch Cafe どっこいしょ
 13:30~すいごごカフェ
 水谷 淳子さん(耳鼻咽喉科開業医)
 「風邪って インフルって」
 「インフルエンザは風邪じゃない」と国を挙げてPRされ、当然のようにワクチンが。でもそもそも風邪ってなに?ワクチンは必要なの?42年間の地域医療体験から。

 26日(水)この日の会場はせんげん台の移行支援「世一緒」
 菅野 秀義さん(介護人、就労移行利用)
 「都庁は俺が建てた」
 先月のすいごご亀田さんの語りに誘われ、80~90年代の工事現場での労働を語り始めたので、急遽ゲストとしてお願いすることに。介護人としての働きぶりも。

 1月9日(水)
 野村 康晴さん(就労移行利用者)
 「小売業界で働いたら」
 中学までは近所の学校、特支学校高等部を経て、国リハ、通所授産へ。施設外授産の経験から小売業界へ。がんばり精魂尽きて初めて就労支援と出会う。そして…

 16日(水)
 迫田 ベルタ夫妻(アンデスの心)
 「アンデスの心とは」
 ペルーから働きに来日し、そこで出会って結婚。地域にさまざまなつながりをつくり、時々帰っては物産品を仕入れて、地域のお祭りに店を出す人気者の素顔

 21日(月)…水曜ではありませんのでご注意を。会場はせんげん台の移行支援「世一緒」
 倉川 秀明さん(有機農業生産者)
「パプアニューギニア」
 かってJICAから派遣されて住民たちと暮らしたあの地へ、先日再訪した報告を中心に。現在の有機農業生産者人生はアジアの農民たちとの出会いから始まった

 30日(水)
 樋上 秀さん(たそがれ世一緒管理人)
「暮らしやすい街って」
 誰もがくらしやすいまちづくり実行委員会の代表を務め、避難所一泊体験等にも取り組んできた樋上さんにとっての「くらしやすいまち」とは。


 2019.01.24

 
2018.12.19


2018.12.19

  





(2017.11.23)

分ける制度を共に活きるために使えるか―すいごごカフェに託すもの

  《ブログ》共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す
    http://yellow-room.at.webry.info/201711/article_4.htm


 ▽NPO法人障害者の職場参加をすすめる会が世一緒で今年度通しで開催している「すいごごカフェ」や生活クラブ他と連携の「うんとこしょ―共に活きる介護人養成講座」等の活動と、来年度立ち上げを予定している就労移行支援事業「世一緒」の関連について、2004年のNPO法人設立、翌年から10年間の越谷市障害者就労支援センターの運営受託の経緯と意味にさかのぼってのまとめを「分ける制度を共に活きるために使えるか―すいごごカフェに託すもの」と題して、ブログにアップしました。

 
 
  [出所]山下浩志さんのfacebookより。
   https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/1460925790642723



(2018.06.07)
▽毎回、13:30~15:00 
 ◇ご興味のある方はぜひどうぞ。なかなか聞けない話が多いですよ。
 コーヒー 100円(カンパ制)


▽「ランチカフェどっこいしょ」[第3水曜日]は300円のカレーライス、13:30~のゲスト・トーク。
 ▽問い合わせは世一緒まで 048-964-1819(TEL・FAX)
             shokuba@deluxe.ocn.ne.jp






 


店内イメージ

世一緒の地図店舗情報

NPO障害者の職場参加をすすめる会

〒344-0023
越谷市東越谷1-1-7 須賀ビル101

TEL.048-964-1819
FAX.048-964-1819













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